
JC(青年会議所)のASPAC(アジア太平洋会議)で長野に行ったついでに、松代地下大本営跡を視察して来ました。大本営は統帥者の天皇と軍部から構成されていましたが、大東亜戦争末期、敗色が濃くなってくると、国体護持のため大本営を松代に移す計画が立てられました。しかも、この大本営は敵の空襲を避けるため、強固な岩盤の山を掘り進んだ、巨大な地下壕なのです。

昭和19年11月11日11時(いいつき、いいひ、いいとき)に工事が開始されたそうです。
「硫黄島からの手紙」という映画にも登場した地下壕ですが、ここ松代では実際に壕の中に立ち入ることが出来ます。

入口でヘルメットを借りて、壕の中へと足を進めます、最初は急な下りで天井も低いのですが、暫く進むと地面は平らになり、横幅約4m高さ約2m半の広々した通路になります。この象山(ぞうざん)の地下壕は縦坑が20本、横坑が10本通っており、政府省庁と放送局、電話局が入る予定だったそうです。

次に、象山地下壕から南東約1.5kmにある舞鶴山地下壕を視察しました。
象山が政府施設移転予定地だったのに対し、こちらは天皇皇后の御座所と参謀本部の移転予定地でした。
しかも驚いたことに、現在は世界屈指を誇る気象庁の精密地震観測室として利用されているのです。従って象山のように壕内に立ち入ることは出来ません。終戦4年後には地震計による観測を開始し、現在に至ります。つい最近では北朝鮮による核実験の波形をとらえました。

天皇の御座所として建築された建物は、60年以上経った今でも当時の姿のまま使用されています。空襲に備え、屋根は100cmのコンクリートで覆われているという頑強な建物です。中に立ち入ることこそ出来ませんが、窓の外から内部を覗き込むことが出来ます。こちらは地上の御座所ですが、いざという時に備え地下の御座所(地下御殿)も用意され、そこへの避難路が一部公開されています。現在は中央に手すりが設置されていますが、非常に急な下りの階段道です。

今回、ASPACで長野に来たお陰で、お恥ずかしながら大本営移転計画を知り、実際に史跡を見ることが出来ました。当時の緊迫を現在に伝える史跡が、当時の姿を現在に留めていることを非常に貴重なことだと感じました。
副会長 辻輝也
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