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対馬研修報告 (平成24年9月1日及び2日)  

カテゴリ:青年部会



今回の日記は副会長の 秋田和孝 が書かせて頂きます。

先ず、今回の大阪防衛協会青年部会及び近畿ブロック防衛協会青年部合同研修に多大なる協力をいただいた中部方面総監部広報室梛野班長に心より謝意を申し上げる。

平成24年9月1日10:30福岡空港発の飛行機で対馬に向かう。飛行時間はわずか30分ほど。
対馬空港には陸上自衛隊対馬駐屯地の広報担当の武藤一尉が既に待っており、さっそく空港から少し北に位置する万関橋に案内していただく。

かつては山の稜線でつながっていたところだが、浅茅(あそう)湾内の竹敷港にあった大日本帝国海軍竹敷要港部の水雷艇部隊が対馬東海上へ移動する時間を短縮するため人力で掘削された運河となっている。日露戦争の日本海海戦でバルティック艦隊を迎撃した水雷艇部隊もこの運河を東に抜けて行ったそうだ。現在では幅40m水深4.5m長さは約500mに改修され重要な航路となっている。

続いて上見坂公園の展望台から島全体を俯瞰し対馬の地勢などについて説明をいただく。
この上見坂公園へつながる一般道の横はすべて陸上自衛隊の演習地になっているそうで国定公園が演習地になっているというのも珍しい。

展望台から距離3000mほど先に対馬空港の約1800mの滑走路が見える。幅が40mほどしかない狭い滑走路は福岡からのジェット機だと荒れた日には着陸は難しいそうだ。山の稜線を削って作られた滑走路で、かつての対馬は航空機に関しては浅茅湾に大日本帝国海軍の飛行艇基地しかなかったようなところらしい。

ここから見える浅茅湾には目を閉じれば大日本帝国の連合艦隊が停泊して煙突から石炭の黒煙を上げている姿が目に浮かぶ。島の西側には霊峰白嶽がそびえている。対馬は南北86km、幅10kmほどの島に5~600m級の山が多い島で、海底も水深が深いことが想像出来る。リアス式海岸の海岸線は900kmもあるそうだ。

対馬は7世紀の白村江の戦い以来、元寇襲来、秀吉の朝鮮出兵などいつの代も防人の島として日本の国防の要となってきており、この北見坂公園にも大東亜戦争の頃の堡塁跡がある。頑強な鉄筋コンクリートの厚塗り漆喰の構造物は今でもそのまま使えそうだ。北対馬にある砲台跡にはかつて大型戦艦の口径40cmの砲身20mもある主砲が据えられていたそうだ。

続いていよいよ対馬駐屯地に向かう。司令の仲川一等陸佐自ら迎えてくれる。
対馬の現況についてブリーフィングをいただいた。彼は防衛大学33期生の司令は長く信太山の37普通科連隊や第三師団にいたことがあり、関西からの来訪客を温かく迎えてくれた。

対馬には陸海空で約700名の自衛官が配備され、陸上自衛隊だけでも約300名配備されているそうだ。ここ。対馬駐屯地は和歌山の御坊駐屯地に次いで日本で二番目に小さな駐屯地らしい。駐屯地の自衛官の半数は長崎県出身、全体の1/4は対馬出身。錬成は実戦錬成が多く、市街地へ逃げ込んだ敵を探す演習。水際から上陸する演習。山を越えて進む演習など、日本のどこの部隊より即応力がある精鋭部隊と感じた。

航空自衛隊がレーダーで空を監視し、海上自衛隊がレーダーで海に目を光らせ、陸上自衛隊が近場を警戒、また島の各地区の地域住民との連携により島全体、すなわち国を守っている。

以前からこの島では陸海空の情報交換、連携が行われており、近接戦を得意とする陸上自衛隊は有事に際し即応できるよう航空自衛隊、海上自衛隊隊員に格闘指導なども行っているそうだ。自衛隊の展開だけでなく、対馬の8割を地方交付金に依存する財政現状なども説明をいただく。

駐屯地を後にし、歴史民俗資料館で対馬の歴史を学ぶ。武藤一尉は自衛隊の広報だけでなく対馬全体のことを知り尽くす一級の広報担当である。歴史のこと、島の自然のこと、行政のことなんでも知っているのはさすがである。

対馬市民の自衛隊に対する信頼は16世紀の秀吉の朝鮮出兵、13世紀の蒙古襲来、それより以前の6世紀の白村江の戦いにまでさかのぼる。武人は命を賭して守ってくれるという信頼関係があり、自衛隊は島の生活の一部として認知されている。他の離島のように自衛隊反対を口にするものなど皆無。

毎年に秋に行われる観閲式は島民にとって一大イベントで楽しみにしている。
街の中の公道を小銃を持ち、戦車が走行する観閲式は他の地域ではなかなか見られない。

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懇親会は郷土料理の「志まもと」で大きな石を使った名物料理石焼で魚や野菜をいただいた。仲川司令、武藤一尉、対馬防衛協会からは白石会長、太田副会長、江口副会長、大浦議員も参加いただき、対馬の現状についてさまざまな角度から現地の生の声を聞かせていただく。対馬のことを何も知らないことを改めて感じ、対馬の重要性について再認識する。

翌朝、全員でランニング。かつての城下町を港から駐屯地まで走ることで昔の城下町の様子を感じる。
二日目は小茂田の浜に向かう。ここは1274年文永11年元寇の先遣隊450艘3万人の軍勢が押し寄せた。当時の対馬国の地頭代宋資国(そうすけくに)が厳原から山を越え80余騎で迎え撃つも討死にしたところ。今では陸上自衛隊の上陸作戦の演習場として使われている風光明媚な海岸線である。

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飛行機の出発の時間が近いが、浅茅湾を海岸線から視察させていただいた。海上自衛隊対馬防備帯本部が対岸に見える。その施設の横には天皇陛下行幸の記念碑が残る韓国資本のリゾートホテルがあるところだ。

今回の研修では対馬の現状を垣間見ることになり、年間7000名ほどしか日本人観光客の来訪は無いが、かたや韓国人観光客は年間10万人にもなろうとしている現状を知った。日本の国防は自衛隊任せではなく、私たち民間人にも出来る国防は民間人の往来を増やすことではないかと感じた。今回の研修で見聞したことを多くの人に伝え、対馬に関心を持つ人を増やしたいと強く思った。

大阪防衛協会青年部会
副会長 秋田和孝
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