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第37普通科連隊レンジャー帰還式 

カテゴリ:陸上自衛隊

少し遅くなったが7月12日に信太山駐屯地にある第37普通科連隊のレンジャー帰還式に参加させていただいた。
アメリカ陸軍では優秀な歩兵を集めて遊激戦部隊としてのレンジャー隊を編成しているが我が国のでは個人の有資格としている。

レンジャー隊員は一般の隊員よりも、体力・気力・精神力などに優れており、戦闘技術、サバイバル技術やその他特殊技術を持った隊員のことであり。陸上自衛隊のエキスパートとよばれる。事実上、特殊部隊員のようなものか。

現役の自衛隊で毎年3分の1が脱落するとも言われています。
レンジャー訓練中は、隊員は教官に絶対服従で返事をするときは「レンジャー!」と言わなければなりません。
かなりしごかれますし、訓練生が一人でもミスをおかせば、全員が連帯責任でペナルティをかせられます。

東北や北海道では冬期戦のレンジャーや山岳地帯の山岳レンジャーもあると聞き及ぶ。
このレンジャー過程は約3カ月間行われ、前半の銃を持ったままの長距離走などの体力訓練と後半の森林戦、徒手格闘、市街戦、生存自活などの実技訓練に分かれる。。。

どちらにしても筆舌に尽くしがたい過酷な訓練でありこれらの訓練を完遂して胸にレンジャー徽章をつけた隊員は他の隊員から多大な尊敬と信頼を得ることとなる。

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真夏に16kmを野戦服を着て重さ3.5kgの小銃を持ったまま全員で走ったり、山の中に放たれて生存訓練も行われた。蛇も鳩も食べるらしい。どの普通科連隊でも訓練開始前に30名ほどいても最終訓練まで残る人数は10名前後になると聞き及ぶ。寝れない、食べ物も食べられない、水も十分に飲めない環境がずっと続くと聞く。

山の中にて飲まず食わず10日間実戦訓練を行った隊員が帰還する時間を見計らってそれぞれの中隊ごとにお出迎え。家族の方々も心配の顔で帰還する勇者たちを駐屯地入り口で待つ。。

しばらくすると号令とともに目のくぼんだ、疲労困憊のレンジャーが帰還。。


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休む間もなく幹部レンジャーの大庭連隊長からの名誉ある「き章」の授与。。。
先任助教を務められた太田芳久2等陸曹から

「君たちレンジャーの訓練は今終わった。

 この3カ月間のうらみつらみをその1発にこめて

 空高だかに 打ち上げる!」

「レンジャーおめでとう!」

という挨拶とともに皆で空に向かって空砲を撃つ。。。

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大庭連隊長も言葉に出さず「お前らよく頑張った!おめでとう!」といつも以上に目の奥に炎をたぎらせて
最高指揮官として感謝の意を示されていた。

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一人ひとりの首にメダルのようなものが掛けられ参加者全員でその訓練の困難に打ち勝った我が国の「誇り」に対し大きな拍手で讃えた。


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最後は中隊ごとに記念撮影。。。ボロ雑巾のごとくやつれ果て、最低10キロは体重が減った彼らの顔は達成感に満ち溢れていた。。

私も個人的に一緒に写真を撮っていただいたがこの場に掲載するのは色々な意味で申し訳ないと思い。。掲載を控える。。。

この帰還式を迎える前にレンジャー隊員の彼女さんから
「私の彼がレンジャーなんだけど帰還式に何を差し入れすればいいですか?」といった質問が私宛にあった。。

早速駐屯地広報室に尋ね、お答えをいただきそれを彼女にアドバイスをさせていただいた。。。

以下、そのお礼と報告。。。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

純子です。

帰還式行ってきました

ほぼ飲まず食わずで
筋肉がなくなり10キロ以上
痩せてしまったそうです

でも最後までやり遂げ
立ってる姿が凄く
かっこよくて感動しました(;_;)

差し入れはチーズケーキと
マドレーヌと栄養ドリンクと
OSー1(オーエスワン)っていう
脱水状態のときに良いのを持ってきました。


それを持ってったら
彼氏が自衛隊の医療の人に
彼女さんは医療関係の人って
聞かれたくらい
脱水状態の人には
良いものみたいです 。

薬局に売ってます(*^o^*)


みんながみんな差し入れ
持ってきてはなかったですが
式が終わって家族との
話す時間が30分くらいあるので
その時に渡せました。

帰還して来た後の
8日間はまだ教育が続く
そうです。。

*このメールは泣けました・・・・・・
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与那国・石垣研修 その2 

カテゴリ:未分類

翌日与那国から石垣に移動する。午後から八重山防衛協会の方々と意見交換会を行う。

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石垣市民の国防に対する意識はどのようなものなのか。この地域の保守と革新の考え方は具体的にどうなのか。
それを決定する要素は何なのか。

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保守の市長が誕生し地方選では保守政党が議員の過半数を占めるようになった。
そのことが今後の石垣や八重山にどのように影響するのか。
市民の国防の意識は実際に高揚しているのか。


尖閣をはじめとする領土の問題に対して市民はどのような意識を持っているのか。。。
同じ施設にいらっしゃった沖縄地方連絡本部石垣出張所の皆様にも募集や援護についてこの地域の特性などお聞きした。。駐屯地のない現場で一生懸命に任務を完遂する出張所の民様に心より敬意を払う。。

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翌日八重山日報に早速カラーで掲載いただいた。


翌日早朝から中山義孝石垣市長に対して表敬訪問を行った。
大阪の大学を出られ野村証券に務められ八重山に帰って青年会議所活動の中市議会選挙にも出られ平成22年3月に18代石垣市長に就任された。

彼が市長になってからの活躍はこのブログに書くまでもなく革新の市長が4期務められた左巻きの石垣市を普通の市町村にするために今も命を掛けてさまざまな改革を行っている。

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彼の就任がきっかけになり市議会も9月の市議選で自民が与党となる。その直後の尖閣問題が勃発し市議会は共産党を含む満場一致で尖閣上陸決議を可決。市長と市議は政府に1945年7月に石垣島の住民が船で台湾へ疎開する途中に米軍の攻撃を受け、魚釣島で遭難した遭難事件の慰霊祭を同島で開きたいとして上陸許可を正式要請をする。

政府はのの要請をそでにしたが 市長は「政府は上陸することで他国(中国)を刺激しないようにという考えだろうが、自らの施政権下で慰霊祭を行うのは人として当然のこと」として今後も許可を求めると言っておられた。

実にすばらしい。。。。感動してその他のことは記憶があいまいになったが自分の国は自分で守ると意識をしっかりと持っておられ、それを市民に対して行動で示す。。覚醒せよ日本国民!


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この方が総理大臣になればこの国は間違いなく救われるであろう。。
一国のリーダーとして益々活躍いただくことを心より願う。


この訪問と面談を通じて本州にいる我々日本人も、もっと尖閣諸島、そして日本の領土問題に対して声を上げていかなければならないと強く感じた。


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大阪防衛協会青年部会の事業として過日に自衛隊支援事業として作成したステッカー(6月4日に産経新聞にて府民に無料配布の案内をしたところ応募が7月12日現在で700通を超えた。最近はあちらこちらで見かけるようになっている)

このステッカーと同じデザインの看板を今回のミッションの記念として設置することになった。
設置場所をいろいろな方にお聞きしたところ自分の会社の敷地や自宅の壁に付けてください。というありがたいお言葉もあり、今回石垣市内の空港から街に出る交差点とその近辺の2か所に設置をさせていただき、関係者ともども除幕式を行った。


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私たちの想いがこうして形になったことに参加者一同感激をした。この看板を石垣の、また石垣を訪れる多くの政府関係者に見ていただき「ボクらの誇り自衛隊」の輪が沖縄中にまた日本中に広がることを心から願う。

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沖縄地方連絡本部の方々もこの看板を見られて有難いことですと言っていただいた。。

そのことが今回のミッションの団長として近畿ブロック、大阪防衛協会青年部会の会長として一番嬉しかった。
今回の私たちのミッションがこの地域の自分の国は自分で守るというあたりまえの考え方を少しでも多くの人に理解していただく一助になればと思った。

今回のミッションでは八重山青年会議所の座喜味盛行様には様々な手配や無理な設営をかなえていただきこの場をお借りして心より感謝申し上げる。多くの志を同じくする仲間と出会え、酒を酌み交わし思いを一つにできたこと

これからの日本を変えていくのは政治家ではなく国民一人ひとりの強い意志であること。
私たち一人一人が声をあげて自らがこの国の抑止力になろう。。そんなことを実感できる大変意義深いミッションとなった。。。。

与那国・石垣研修 

カテゴリ:青年部会

私がともに代表を務める大阪防衛協会青年部会と近畿ブロック防衛協会青年部会連絡協議会の合同事業として7月6日から8日まで表記の研修を行った。両組織の会員ならびに全国防衛協会連合会青年部会の中村光良会長、中畑利介監事も含め14名の参加者があった。

初日は日本最西端の島、与那国を訪問した。各自がレンタカーやバイクにて周囲27キロほどの小さな島を視察して回る。与那国島は我が国の防衛の空白地帯であり島民は1500名で警察官2名、拳銃2丁でこの島を警備しているのは有名な話である。

そもそも南西諸島防衛では第15旅団がある沖縄本島より西には陸自の部隊はない。久米島と宮古島に航空自衛隊の航空警戒管制部隊(レーダーサイト)があるだけで防衛上の一種の「空白地域」である。

2010年12月17日に閣議決定・公開された防衛計画の大綱及び中期防衛力整備計画において200人規模の沿岸監視隊配備が盛り込まれ、平成23年度防衛予算では調査費として3000万円が計上された。

現在この計画がどこまで進んでいるのかは防衛省内局のみが知るということらしいが、自衛隊員が駐屯されると中国の軍事的な脅威に対して、南西諸島に存在する警戒網の死角を埋める意味があるとされる。

現在まだ駐屯地の立地も決まってはいないと聞き及ぶ。人口1500人の島なのでほとんど道路に人を見掛けない。牛を放牧があちこちで見られる。

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それと同様に自衛隊誘致賛成の幟と誘致反対の幟が町のあちこちで多く見られた。

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(誘致反対の幟)

最西端に沈む夕日をバックに国歌斉唱から始まる結団式を行った。うっすらと見える台湾(100キロの距離らしい)に向かって自分の国は自分で守ることを誓い合った。

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町一番のレストランにて与那国防衛協会主催の歓迎会を行っていただいた。お店貸し切りで「どなん」泡盛とともに国防について熱く語り合った。

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自衛隊誘致の推進力となった与那国防衛協会の金城信浩の歓迎の挨拶から始まり、
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(泡盛工場や肉牛の飼育、ガソリンスタンドなど幅広く事業もされている与那国防衛協会の金城信浩会長)


与那国町長の外間守吉氏、崎原孫吉町議会議長、与那国商工会の入波平浩伸会長、今回カウンターパートを受けていただいた与那国防衛協会副会長でもある糸数健一議員、その他多くの若手の防衛協会の方や町役場の役職者などそうそうたるメンバーとの交流会となった。

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町長の外間氏は挨拶の中で「太平洋戦争で犠牲になったのは沖縄県民だけではない、広島、長崎、東京、大阪も同じように多くの人がなくなっている。沖縄だけを特別に見てくれという考え方や風潮はそろそろ脱却しなけらばならないと思う、もっと日本全体のことを考えよう」と言う挨拶には感動した。

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聞くところによると反対派も改革派としての反対(反対の中の2割くらい)もあるが、そもそも論として自衛隊が与那国に来ることは反対ではないが国民が誘致してきてもらう性質のものではないので(これは石垣の中山市長も同様のことをおっしゃられていました)町が「誘致」するということには反対という立場の方も多いとおっしゃられていた。

防衛協会副会長の糸数健一議員も島の人口がどんどん減っていく現状を鑑み(外国人参政権の問題もあり)この島に人が住まなくなれば日本の明日はないと言っておられた。医者もいないし牛を育てていても処理施設もない。 物価もどうしても高く、学校もないために15才になればみんなこの島を出ていく現状と言っておられた。


防空識別圏の正常化が昨年に防衛省により通知された。

防空識別圏とは,領空の外側に設定される空域のことで、飛行する航空機が領空に入る前に「味方か味方でないか」を識別するための空域である。。

なぜ与那国島が問題だったかといえば与那国島の西側が台湾空軍の防空識別圏だったからです。
台湾との空域に余裕がなくスクランブルの判断が困難でありました。
(ちなみに航空自衛隊がスクランブルを掛けたのは平成21年度で299回と聞き及ぶ)


翌日糸数議員に案内されて島をあちこち歩いた。

最初に軍神と呼ばれた陸軍大尉 大舛松市氏の墓。大正6年8月6日生まれ。沖縄県与那国島の出身で,沖縄第一中学,陸軍士官学校を卒業後,任官。昭和18年1月13日ガダルカナル島で戦死。27歳。沖縄県人としてはじめて個人感状をさずけられ,「大舛大尉につづけ」の合い言葉ができた与那国の尊敬される偉人。

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碑文には

「うらぶ(地元の山の名前)の高きを思うなかれ

 大空の限りなきを知れ

 島の小さきを憂うるなかれ

 太平洋の広きを見よ」

県立一中のころの望郷に思いを寄せたと思われる言葉が刻まれている
志を高くもとうということを述べられているのであるが、糸数議員曰くは沖縄はアメリカから日本に返還される前のほうが日本らしかった。。この国の行く末はどうなるのだろうとおっしゃられていた。


続いてティンダハナタの高台に立った。その頂きに屏風のようにそそり立つ分厚い岩壁に石碑が嵌め込まれている。


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「讃・與那国島」と題して伊波南哲という人物が詠った詩である。

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荒潮の息吹きに濡れて
千古の伝説をはらみ
美と力を兼ね備へた
南海の防壁 與那国島

行雲流水
己の美と力を信じ
無限の情熱を秘めて
太平洋の怒涛に拮抗する
南海の防壁 與那国島

詩は第三節、第四節と続き、与那国島を「沈まざる二十五万噸の航空母艦だ」と謳って結ばれている。「紀元二千六百三年三月」、昭和18年3月のまさに戦時中の詩である。


与那国の住民や駐屯する日本軍の士気を高めるものとして造られたものとお聞きした。

「この島の防人意識を表わした碑で。昔はこういう気持は国民の誰の心の中にもあったと思います」と、糸数氏はおっしゃられていた。

 本当に多くの島の方々に歓迎いただき、またお世話になった。
より多くの方々がこの島に、国境警備に対して国防の意識を持っていただくことを希望する。


(続く・・・・)






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