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近畿ブロック防衛協会青年部会連絡協議会兵庫会議 

カテゴリ:全国防衛協会連合会青年部会

表題の会合が8月25日行われた。
近畿ブロックというのは近畿2府4県の防衛協会青年部会がそれぞれの会の連絡調整とさらなる自衛隊の支援を行うため5年前に設立され現在私が会長職を務めさせていただいている。
今年度から各府県持ち回りでブロック役員のさらなる防衛意識の高揚を促す事が出来る設営をお願いしている。

昨年から兵庫県防衛協会青年部会の会長をされている三津千久磨氏が経営されている淡路島にあるミツ精機株式会社の会議室をお借りし、各府県の活動報告ならびに活動予定、自衛隊支援のあり方についての議論、国民層における防衛意識の高揚のための活動のあり方などを中心に実に内容のある会議をさせていただいた。

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三津会長の会社は様々な精密機械の加工を中心にコングロマリットな企業として地元では超優良な企業と聞き及ぶ。そのさまざまな事業部の中の一つが航空宇宙関連事業でジェットエンジンの部品や人工衛星の部品を作っておられるらしい。かなり驚いたのは会社の中にさまざまな自衛隊航空機を展示し一般の方にも公開されている。

三津会長は航空機部品製作における品質向上と航空科学教育の普及・航空思想の向上が目的といっておられるが淡路島住民の防衛思想の普及と自衛隊の広報にかなり貢献されていることは間違いないと思われる。

上の写真はF1支援戦闘機で我が国初の超音速戦闘機で4050時間の飛行任務完了のため自衛隊からお借りしているらしい。

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そのほかにも阪神大震災で大活躍したKV-107A輸送ヘリ、LR1連絡偵察機、航空自衛隊ファイターパイロットの育成に使われる日本初の国産ジェット機であるT-1ジェット練習機、世界でもっとも有名なヘリのUH-1H,観測ヘリのOH-6D、航空自衛隊のパイロット候補生が最初の訓練の為に乗る初等練習機のT-3練習機などが本社のあちらこちらに展示されていた。奈良防衛協会青年部の部長が近くに航空自衛隊幹部候補生はあるけどこれだけの装備品は見たことがないと言っておられた。

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会社を見学させていただきF1支援戦闘機の前で集合写真。

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夜は洲本温泉で美味しい魚とお酒をいただきながら昼の会議で話し足りなかったそれぞれの国防に関する想いと意見をさらに闘わせた。志が同じ仲間との意見交換は本当に楽しい。。中央に座られている田中相談役は当日が誕生日で皆でお祝いをさせていただいた。自分たちが率先してこの国を変えていこう。国際社会でに尊敬される日本を作ろう。かけがえのない日本を守るのは私たち国民一人ひとりでなければならない。こんな当たり前のことをもっと多くの人に伝え広めていこう。。。そんな想いがより高まった会議となった。
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大阪護国神社 

カテゴリ:雑感

終戦記念日の本日、大阪護国神社に一人で参拝にいく。
もちろん目的は国のために命を捧げた英霊に「感謝と哀悼の意」を表すためである。
この大阪護国神社には大阪出身の大阪府ゆかりの英霊十万五千余柱を御祭神としてお祀りされている。

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大阪護国神社は昭和15年仁徳天皇と大阪府出身の戦没者を祭神として創建し有志が桜樹献木会を組織して桜・桐約千本を植えるなど約2万平方メートルの神域はうっそうと樹木が茂りこの日も閑静なたたずまいを見せている。
春・秋の大祭のほか、毎年の盆三日間はみたま祭りとして域内に3千個のちょうちんを灯し、祭神の霊を慰めている。

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神社の境内には大小二十五基もの慰霊碑が建ち並んでいる。これらの慰霊碑は同じ所属部隊で戦死した戦友の死を悼んで建立したという体裁をとっているが、碑の裏面に掲げられた文面はすべて「輝かしい部隊の戦歴」をしっかりと披瀝されている。実にすばらしいことである。戦争で亡くなられた英霊は、家族のため郷土の為、国の為、残された私たし子々孫々の為に尊い命をなげうって戦われました。慰霊だけではなくその功績をたたえ感謝し心からの畏敬の念を持たねばならないことは言うまでもない。


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この碑を見ると祖国日本を守るために青春のなかった若い先達が父母兄弟、国の為に若き身を犠牲にして人間爆弾になって敵艦に飛び込み散華したこと、そのときの彼らの想いはいかばかりなのかと考えてしまう。
5月にお亡くなりになった前大阪防衛協会会長の小林公平氏も海軍兵学校出身で特攻隊を志願した先輩に囲まれて終戦を迎えたと言っておられた。朝鮮半島の鉄道や道路のインフラや教育機関など自国と同じくらいの費用を使い経済発展に寄与してきたのにいつまで我が国は韓国、中国に対して謝り続けなければならないのか・・・ということを阪急電鉄の本社で話しいただいたことを思いだす。

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海軍関係戦歿者の慰霊碑で碑文を以下紹介する。

明治初年に創設され、その後幾多の輝かしい歴史と伝統を保有し、わが国の栄光と国威の象徴として、国民に尊敬され親しまれた日本帝国海軍は、さきの太平洋戦争において善戦空しく敗れ、昭和20年8月15日の終戦と共に、その80年の長い歴史を閉じた。この戦において、40万余の海軍軍人・軍属が、その貴い生命を祖国に捧げて勇戦奮闘の末、国の御楯として散華した。

大阪を中心とする近隣府県在住の海軍関係生存者ら有志相寄り相図り、ここ大阪護国神社の聖域に慰霊の碑を建立した。海軍を弔い、永遠の平和を希求し、戦没者に心から慰霊の誠を捧げ、以てその芳勲を千秋に伝えんとするものである。

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予科練の貴様と俺と翼の碑です。


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つわもの之碑「野砲兵第26連隊」以下連隊紹介

大阪・九州の出身者で編成。昭和6年、満洲事変に際し連隊主力は第39混成旅団砲兵として参加。
支那事変では、京津地方掃蕩作戦、太原攻略戦等に参加。昭和15年1月に復員。昭和17年末、南東派遣のため山砲に改編。ニューギニアのウエワクに上陸。昭和18年4月、マダンに移動。昭和18年9月、米軍のフィンシハーフェン上陸に際し、火砲を移動。10月から11月にかけて二次にわたって攻撃支援を実施。
その後、シオに後退。更に第41師団とともにアイタペで坂東川血流の大激戦を展開したあとブーツへ後退。
終戦時の生存者は約100名。


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龍山歩兵第七十九聯隊「戦友ともはここに眠る」

大阪・九州の出身者で編成。
昭和6年、満洲事変に際し連隊主力は第39混成旅団砲兵として参加。支那事変では、京津地方掃蕩作戦、太原攻略戦等に参加。
昭和15年1月に復員。
昭和17年末、南東派遣のため山砲に改編。ニューギニアのウエワクに上陸。
昭和18年4月、マダンに移動。
昭和18年9月、米軍のフィンシハーフェン上陸に際し、火砲を移動。10月から11月にかけて二次にわたって攻撃支援を実施。その後、シオに後退。更に第41師団とともにアイタペで坂東川血流の大激戦を展開したあとブーツへ後退。終戦時の生存者は約100名。


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『鎮魂』の碑、歩兵第二百十六聯隊

主力部隊を篠山で、第3大隊を大阪で編成し合流して連隊を編成する。
編成直後、漢口に派遣され、更に南昌に移駐して警備に当たり、中国軍の冬季攻勢を撃退する。
昭和15年、宜昌作戦に参加。その後、錦江作戦の中心部隊として活躍。その後、江北作戦、江南作戦に参加。
湘桂作戦では長沙の岳麓山攻略に従事する。その後、中国大陸を転戦し終戦を迎える。

碑文

我が聯隊は昭和14年3月編成され翌4月軍旗を奉戴して勇躍中支戦線に参加して漢口に上陸
以来終戦により安慶に於いて軍旗と永訣する迄七星霜
支那派遣軍の精鋭第34師團(椿部隊)の中核として宜昌作戦をはじめ十二、十三號作戦、二次に亘る錦江作戦、豫南作戦、汚陽作戦、浙■作戦、江北及び江南殲滅作戦、常徳作戦、湘桂作戦、■江作戦等相次ぐ大作戦に参加
■次軍司令官感状賞詞を受け赫々の戦果を擧げた
この間飢餓酷暑寒苦に耐え瘴癘と闘い勇戦奮闘祖國に殉ぜられた英霊2362柱
その武勲は燦として千載に輝く我等復員以来家郷に在って一向祖國復興発展に力を盡くして来たが嘗て死生心契の諸霊の忠烈敢闘の姿脳裡を去来しその遺志に励まされ加護により今日夢想しなかった繁栄を成し國民均しく平和を慶ぶ。茲に積年の宿願漸く實って戦史を編纂鴻烈を偲び鎮魂の碑を建立、遺勲を顕彰冥福を祈り併せて祖國永遠の平和を冀う

昭和52年9月
歩兵第二百十六聯隊戦友會



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歩兵第百八聨隊
つわもの之霊 ここに鎮まる

通称 菊水部隊 鳳八九六四部隊

歩兵第8連隊留守隊を基幹に予備役を中心に編成。
編成後ただちに満洲に派遣され、錦県に駐屯。
昭和13年7月12日の張鼓峰事件(ソ満国境)では、延吉に展開して警戒に当る。
その後、第21軍に所属して華南を転戦。
昭和13年10月22日、バイアス湾に敵前上陸を敢行して広東作戦に参加。
翌年1月から広東地方の警備のため三水地区に駐屯。
昭和14年11月、翁英作戦では、西村支隊として鉄道修理の工兵隊を援護するが、中国軍の冬季攻勢による猛攻を受ける。(この作戦での戦死者156名)
太平洋戦争期間中は第23軍の指揮下で広東の警備を担当。
昭和19年、大陸打通作戦に参加し多くの被害を出す。
昭和20年3月から米軍の上陸に備えて広東で洞窟陣地を構築中に終戦を迎える。

この日は夕方に参拝することで静かに英霊の至情と対峙することが出来た。と同時に国のあり方を考え、英霊に恥じない国を自らが作り上げるというさらなる気概を携えて地をあとにした。





陸上自衛隊信太山駐屯地納涼大会 

カテゴリ:陸上自衛隊

上記の催しが8月6日に開催され参加させていただいた。
地元の協力者や隊員とその家族が一堂に会し櫓を中心に夏の夜のひと時を楽しんだ。
毎日暑い日が続く中での隊員たちの訓練の苦しさはまさに予想を超えるものであろう。

そんな隊員たちが本当なら仲間内で飲んで騒いで・・・としたいところであろうが我々の様な支援者にも
丁重に接待いただき、また踊れない盆踊りにも積極的に参加し地域の方々との交流を図ろうとするその姿勢に
頭が下がる思いである。

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駐屯地の音楽隊の演奏や今や地域の至宝である菊水太鼓の演奏、浪花家辰丸師匠の音頭による河内音頭、昨年に引き続いての坂井一郎氏の歌謡ショーなどプログラムも盛りだくさんで
もちろん中隊ごとの露店もそれぞれが工夫を凝らし大にぎわいの様相であった。

地域の婦人会や自衛隊の協力会としっかりといい関係を作られているからこそこのようなイベントを毎年することが出来るということは周知の事実であるがこの駐屯地司令の大庭連隊長の人柄によるところも大である。
みずからビールを注ぎまわり日頃の支援のお礼と感謝の気持ちを伝えまくっておられた。

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彼自身も毎日隊員と同じかそれ以上走り続けておられ、走り過ぎて血の小便が出たと笑って言っておられた。
自らデザインした闘魂ランナーTシャツは駐屯地界隈では大ブレイクで背面には3師団が防衛する2府4県の地図とその真中に信太山駐屯地を位置させこの地域は我々普通科連隊が何があっても守り抜くというメッセージがこめられている。。

本年9月に訓練視察があり連隊長自身もここ数カ月全く休暇を取らず隊員とともに強烈に苦しい訓練を実戦さながらに行っていると聞き及ぶ、この人を核心とした1000余名の隊員のおかげで枕を高くして寝ることが出来ることお会いするたび再確認させていただける。このお方は一度会えばわかるけど「国を守るオーラ」全身から出ています。。


八尾駐屯地盆踊り・花火大会 

カテゴリ:陸上自衛隊

表題の催しが8月5日執り行われた。
八尾空港に隣接する陸上自衛隊八尾駐屯地では、毎年夏に納涼花火大会を地域との交流、
また自衛隊への理解を深める目的で開催されます。

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夕方から盆踊りがはじまり河内音頭を中心に多くの市民がこの地元に根付くお祭りを楽しんでおられた。
各中隊の隊員の手作りのさまざまな露店や記念品など多くの市民が自衛隊と楽しげに交流する姿が印象的であった。基地の周年行事と違い家族連れや学生らしき若い女性たちが浴衣を着た方々が多く
聞くところによると本年は25000人の来場者があったらしい。

8月1日付で赴任された関口勝則駐屯地司令も櫓の上から市民に来場の御礼と自衛隊への理解を話されていました。この駐屯地内に所在している部隊は、中部方面航空隊及び第3飛行隊です。陸上自衛隊の航空科職種の部隊で、各種ヘリコプターを持って物資の輸送、指揮連絡などにより広く地上部隊を支援する任務となっている。

ニュースなどでよく目にするのは、災害派遣の際、行方不明者の捜索、堤防や道路の応急復旧、負傷者の治療、人員・物資の輸送、空中消火などで県知事等の要請を受けて出動します。過去には山林火災では香川県に出動したこともあるそうです。

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隊員の家族も招待席で楽しく歓談されていました。


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同伴いただいた辻副会長と2ショット。。。。

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メインイベントの花火はまじかで見ることが出来、来場者は夏の夜の夢をしばし堪能することが出来た。
協力会の会長もおっしゃっていたがこのようなイベントは自衛隊だけでは決して成し得ず、
市民をはじめとする支援者の方々の協力があって初めて出来ることであるということは言うまでもない。
この駐屯地のさらなる発展を祈念したい。


八尾駐屯地のHPはこちら


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