スポンサーサイト 

カテゴリ:スポンサー広告

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ヘリコプター体験搭乗 

カテゴリ:陸上自衛隊

今回も中部方面総監部の計らいで会員を対象にヘリコプターの体験搭乗をさせていただいた。
今回は初めて登場する方を優先させていただいたため感想を会員の秋田和孝君」にお願いして書いていただきました。

以下感想文です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
5月30日陸上自衛隊八尾駐屯地に「ヘリコプター体験搭乗」に行ってきました。
今回は、駐屯地の中にある広報展示室見学、格納庫の中のヘリコプター見学、
普段自衛隊の隊員が食事をされている隊員食堂で「体験喫食」(実費負担375円)もありました。

最初に、屋上にゼロ戦が据えられている広報展示室に向かいました。
大東亜戦争中は旧陸軍の戦闘指揮所として使われていた建物が、旧帝国陸海軍の遺書、遺品や装備品、
また、自衛隊の活動や航空関係の資料館になっています。
大きな石が埋め込まれたコンクリートの壁はコンクリートが貴重品だったことを物語っています。

わずか60年ほど前に、ここで当時の軍人さんたちが国を守るために詰めていた事実があったことを改めて思い、
遺書を読むと尊い犠牲を払ってくれた先人のおかげで今があることを改めて感謝します。

次にヘリコプターの格納庫に案内されました。
フライングエッグ(「空飛ぶ卵」)の愛称のある二人乗りの小さなヘリコプターOH-6は偵察などに使われるそうです。
普段練習で飛行しているヘリコプターの操縦席に座らせてもらいました。
「機体は自由に触っていただいてもらってもいいですが、けっこうやわらかいので強くこづくとへこみますので。」
とユーモアいっぱいに説明してくれます。


次は、本日搭乗予定の多用途ヘリコプターUH-1の説明を受けました。
灯油とケロシンの混合燃料で燃費は300リットル/時だそうで、継続飛行距離は650kmほどで、
八尾空港から鹿児島まで飛んでいけるそうです。
1501802652_172.jpg

そして、「体験喫食」。
隊員さんも食事をしています。
土曜日なのに隊員さんが働いています。
当たり前ですが、自衛隊は交代で24時間勤務365日営業中なんですね。
有事に備えて日夜装備を整備点検し、平時においては海外PKO活動や災害復旧、救援など文字通り日本の
自衛活動のため頑張ってくれています。
いつも、ありがとう!

「自衛官の摂取基準は3,200Kcal」と書かれていました。
いやはや、メタボを気にして食事制限しているこちらと違って、体を使って働いている隊員はたくさん食べないと体が持たないんですねぇ。

いよいよヘリコプターの体験搭乗です。
ローター(回転翼)が回ったままの搭乗は、「風によってはローター(回転翼)が下がってくるので頭を下げて近づいてください。」と言われて緊張します。
http://www.youtube.com/watch?v=tWV2tCwlf04←動画です


わずか10分ほどのフライトですが、計器を見ていると運行予定通りの高度、スピードを維持しています。
自動操縦機能ではなく、すべて手動にもかかわらず正確なフライトに普段の訓練の質の高さを感じます。
http://www.youtube.com/watch?v=I4qyojh-MNs ←動画です

1501802652_119.jpg

体験搭乗に来ていた小学生が広報担当の女性自衛官に無邪気に聞きました。

1501802652_208.jpg

「お姉ちゃんは戦争に行くの?」

その女性の自衛官は、ためらいもなく、真顔で「戦争になって、「行け。」と言われたら行くよ。」と答えました。
その短いやり取りの中で、「自分達」がではなく、「自分」が日本を守るという固い意志を感じ、胸を打たれました。

自分が国を守るというのは決して自衛隊の仕事でもなく、自衛官だけが負う責任でもなく私たち一人ひとりが、
「自分を守る。」、「自分の国を守る。」という自覚を持つことが大切です。
無邪気な小学生の質問に、はっと気づかされました。

小学校の平和教育やPTAの活動と自衛隊の広報がうまくリンク出来たらいいと思いました。
自衛隊のみなさん、素晴らしい機会をありがとうございます。

スポンサーサイト

大阪防衛協会青年部会平成22年度総会 

カテゴリ:青年部会

5月28日表題の私ども大阪防衛協会青年部会の総会が難波のホテルメトロ21で執り行われました。
月末の本業多忙の中60名以上の会員が参集した。。

soukai1_20100531090847.jpg

昨年は新型インフルエンザの発生の為に本総会は中止することとなり2年ぶりの開催となった。
大阪防衛協会(親会)前会長の小林公平氏の御逝去に対し黙祷をささげたのち国歌君が代の斉唱で粛々と始まった。


soukai2.jpg

主催者であり本会会長である私の挨拶を以下紹介させていただく

・自分たちの目で直接自衛隊をもっと見よう。そして現場の自衛官の頑張りを広く社会に発信しよう。
・私たち会員がしっかりとした安全保障の知識と見識を持って社会にものを言える団体となろう。
・自衛隊は国の宝であることを広く喧伝しよう。
・自衛官を見たときは「いつも国を守ってくれてありがとう」「かんばって!」と積極的に声をかけよう。
・抑止力は戦力の大小ではなく私たち国民一人ひとりが自分の国を守るというその気概そのものである。
 私たち会員一人ひとりがさらなる気概を持って我が国の抑止力にならなければならない。

以上のことを上手には話せなかったがお伝えさせていただいた。

中部方面総監部から幕僚長の日高政広陸将がわざわざ駆けつけていただき、
自衛官はずっと訓練ばかりで外部の人に認めてもらう機会があまりない、だから私どものような団体が自衛隊の支援していることについては感謝している。というありがたいお言葉とお祝いの挨拶をいただいた。

海上自衛隊を代表して阪神基地司令の村川豊海将補に御挨拶をいただいた。私どもが阪神基地にお邪魔した時のエピソードを紹介いただきその司令の気持ちがうれしかっ。また私自身も失念していましたが、奇しくも本日が対馬沖で東郷平八郎元帥率いる海軍がバルチック艦隊を打ち破り我が国の将来に明るい光を与えた記念日でる海軍記念日であることを紹介いただいた。

その挨拶をいただきながら2年前に江田島の第一術科学校の資料館で見たZ旗を思い出した。決戦を前に東郷元帥は「皇国ノ興廃コノ一戦ニアリ。各員一層奮励努力セヨ」の訓示と共に旗艦「三笠」のメインマストに信号旗の「Z」旗を掲揚しました。「Z」はアルファベットの最後の文字であり、「最後の決戦」の意味で使われたと記憶している。

乾杯の発声は3師団副師団長兼ねて千僧駐屯地司令の山之上哲朗陸将補にお願いいたしました。
スマートな体躯に目に力のある山之上副師団長は戦闘服が私の知りうる中で戦闘服が最も似合うミスター陸上自衛隊である。

参加いただいた幹部自衛官また官僚である大阪地方協力本部副部長の周りには会員がひっきりなしに
名刺の交換と防衛に関する質問や意見の交換が行われ会場の気温が5度くらい上昇するような若いエネルギーが
渦巻く懇親会であった。

soukai3.jpg

ほとんどの会員があまり食事もとらず自衛隊の方々と一緒に時間を共有することに意味を感じていただいたこと、またすべての会員に対して分け隔てなく丁寧に話をしていただいた自衛隊の方に改めて感謝したい。

中島成和副会長の締めの乾杯の挨拶は「自分たちが自衛隊のお荷物になってはいけない、自分たちがこの国に対して、自衛隊に対して存在意義のある団体になるよう会員一人ひとりが考えて行動しよう」と言う挨拶で会は終了しました。

忙しい中わざわざ私どもの総会に参加いただいた自衛隊の幹部の方々の期待に背かぬよう「自分の国は自分で守る」ことの大切さをもっと多くの国民に伝え広めていくこと、自衛隊の支援団体としてさらなる活動を展開し、出口の見えない低迷にあえぐこの日本のなかで「平成の坂の上の雲」を目指してさらなる精進を重ねていくことを会の代表者としてお誓いいたします。

本日参加いただいた自衛隊の皆様

陸上自衛隊 中部方面総監部
幕僚長 日高政広 陸将

海上自衛隊 阪神基地隊
 司令 村川豊 海将補

陸上自衛隊第3師団
副師団長  山之上哲朗 陸将補

陸上自衛隊 中部方面総監部
 総務部
総務部長 重石義幸1等陸佐

陸上自衛隊 中部方面総監部
総務部広報室
広報室長 小林博一1等陸佐

中部方面航空隊本部
中部方面航空隊長  田中重信1等陸佐

自衛隊 大阪地方協力本部
副本部長 小山恵敏様

自衛隊 大阪地方協力本部
渉外広報室
渉外広報室長 山口英司3等空佐

//////////////////////////////////////////////////////////////////////////////

以下 会員の秋田和孝君の報告です。

大阪防衛協会青年部会の5周年総会が開催されたのは奇しくも海軍記念日の5月27日でした。
海上自衛隊阪神基地からは村川司令がお祝いに駆けつけてくれました。

今から100年以上前に世界最強と恐れられていたロシアのバルチック艦隊との開戦日。大東亜戦争終結前には国民の祝日だったそうです。
(日本海開戦については靖国神社に併設の歴史資料館「遊就館」に素晴らしい映像資料がありますので、九段に行かれた折には是非足をお運びください。)

村川司令のお話はユーモアあふれ事実に基きとても楽しいです。
お話の中で北朝鮮の潜水艦の位置、インド洋の給油活動、中東での護衛活動の話がありました。

豪華客船「飛鳥」を護衛した時のこと、

部屋のナプキン、シーツを持ち出して護衛する自衛官に感謝と激励の意を込めてすべての客室のお客さんが振っていたそうです。

「わぁ!その写真欲しいです!」といえば、「マスコミさんには送ってるんですけどねぇ・・・」と苦笑されていました。

自衛隊の活動がマスコミを通じて伝えられない現状は悲しいですねぇ。

ありがとう!頑張れ自衛隊の諸君!
マスコミが伝えなくても我々は知っている君たちが国を護ってくれていること!
マスコミが伝えなくても我々が伝える!

今この瞬間も国を護る人がいてくれる。

感謝!

(ネットで探してきたこの写真に写っている飛鳥と護衛艦のツーショットの写真欲しいなぁ。)

gazou5.jpg

海上自衛隊阪神基地隊開隊58周年記念行事 

カテゴリ:海上自衛隊

5月23日(日)海上自衛隊阪神基地隊に於いて表題の記念行事がとりおこなわれた。
今回は記念行事に合わせて補給艦「とわだ」の見学をさせていただいた。

8822.jpg

「とわだ」は1987年3月24日に就役した後に自衛艦隊直轄となり2001年から近年までテロ対策特別措置法及び新テロ特措法に基づくインド洋給油活動にこれまで7回参加している。

d212.jpg

今回補給艦に乗船させていただいたのは初めてであり艦内の補給品収納スペースやその物資輸送にかかわる独自の備品はとても興味深いものであった。真中に弾薬庫や食料の入った冷蔵庫があり作業通路の床面にはレールがありそのレールに乗ってフォークリフトが行ったり来たりすることで揺れる艦上で安全に物資移動できる仕組みになっていると聞いた。

f6b5.jpg

甲板には燃料補給のホースやその他の装置が所狭しと設置されている。洋上を進水しながら補給する姿はテレビで何度か見たことがあり改めて見ると感慨深いものがあった。

6116.jpg

今回58周年を迎える阪神基地隊は昭和27年8月1日、保安庁警備隊大阪航路啓戒隊として大阪の地に発足以来、29年7月海上自衛隊大阪基地に、43年3月基地隊本部を神戸市魚崎の地に移転し海上自衛隊阪神基地と改称される等、幾多の遍歴を経て、基地隊本部、由良基地分遣隊、仮屋磁気測定所、紀伊警備所及び第42掃海隊で編成される現在の組織となりました。

阪神基地隊は、日本の戦後復興業務の一環として、海軍省、第二復員省、海上保安庁等と受け継がれてきた瀬戸内海等の航路啓開(掃海)業務を、開隊と同時に引き継ぎ、瀬戸内海東部全域の航路啓開に従事してきました。その後、航路啓開の進展と組織の充実・発展に伴い大阪湾、紀伊水道を含む瀬戸内海東部の担当区の防衛・警備等に従事する阪神唯一の後方支援基地として活動してきました。また、幾多の災害派遣・救難活動や爆発性危険物の処理等の業務に従事するとともに、民生の安定にも寄与し、地域の皆様に信頼され期待される阪神基地隊として大きく成長してきました。
(以上HPより引用)

阪神淡路大震災の際も自らの基地も被災しながら多くの隊員が不眠不休で救助活動をしたことはもはや風化しようとしている。来賓の国会議員の一人が自衛隊の造ってくれた臨時入浴施設で被災後10日ぶりに風呂に入ったことその気持ちよさが今でも忘れられんと挨拶をされていました。兵庫選出のこの国会議員、人相は悪かったけど実にいい話をされたと感じた。実体験ほど説得力のある話はなく、立法府の中で彼が頑張って防衛予算を増やしてくれることを望む。

村川阪神基地司令のいつもながらの控えめではあるがウイットの効いた海軍独特のスマートで気のきいた挨拶の中で
会場に掲げられた十六条の旭光の出た自衛艦旗はこの停泊中の「とわだ」のものとの説明。いつもサプライズを用意して参加者を楽しませてくれる村川司令には敬服する。

5c42.jpg

インド洋の灼熱の太陽と海風に耐えてきた自衛艦旗はぼろぼろになってはいるが隊員の心意気と給油先の諸外国の海軍ならびにその国民の謝意に満ちあふれ、まさに国際社会に貢献した自衛隊の矜持と誇りのシンボルの様であった。

阪神基地隊について詳しくはこちらをご覧ください。

第3師団創立49周年 千僧駐屯地創設59周年 記念行事 

カテゴリ:陸上自衛隊

*今回の日記は副会長の辻輝也が担当いたします。。

5月16日、五月晴れの日曜日、兵庫県伊丹市の陸上自衛隊千僧駐屯地において、第3師団創立49周年と千僧駐屯地創設59周年の記念行事が開催されました。今回、近畿ブロック防衛協会青年部会の会長に就任された鷺岡会長とともに3師団よりご招待いただき参加させていただきました。

この千僧駐屯地は国道171号線によって南北に分断された珍しい駐屯地です。ちなみに地図で見ると、北側は広畑、南側は千僧という地名になっています。司令部の建物があるのが北側、よって藤師団長の名刺には伊丹市広畑一丁目一番地と記されています。一方、観閲式が実施されるグラウンドがあるのは南側です。これらの両敷地を自衛隊専用の歩道橋で繋いでいます。
1正門

国道に面した駐屯地ということで、関西では非常に認知度の高い駐屯地であると思います。千僧駐屯地は、警察予備隊の第3管区総監部として昭和27年1月に創設されました。10年後の昭和37年、方面管区制の施行により第3管区隊から第3師団に改編されました。これゆえ、第3師団は創立49周年、千僧駐屯地は創設59周年と相成ります。

師団というのは独立した作戦行動のとれる作戦基本部隊です。第3師団の部隊編成は、まず歩兵部隊(自衛隊では普通科と言います)が3つ、福知山の第7、伊丹の第36、そして信太山の第37普通科連隊です。続いて、第3後方支援連隊、第3特科隊、第3戦車大隊、第3高射特科大隊、第3施設大隊、第3通信大隊、第3師団司令部付隊、第3偵察隊、第3飛行隊、第3特殊武器防護隊、第3音楽隊と近畿2府2県の8個駐屯地に13個部隊を配置し、近畿2府4県の防衛・警備・災害派遣を任務としています。

2整列

観閲式では第3師団隷下の各部隊が整列し、グラウンドを埋め尽くしました。それを取り囲むように来賓や各支援協力団体関係者、そして一般参加した多くの国民が熱い眼差しを注いでいました。縦横のラインが奇麗に通り、乱れることなくビシッと整列した姿は、流石は自衛隊と唸らせるものでした。

実は私は消防団員でございまして、毎年正月の出初式では茨木市役所前のグラウンドにビシッと整列します。しかし、普段は各々が仕事を持ち、休日を使って訓練をしている我々消防団員は、体型もまちまち、錬度と気合もばらついているということで、なかなか見栄えがしないんだと思います。

3大庭
(正面は37普通科連隊の大庭連隊長。目から闘魂を出し続けながら約1時間全く動かずに立っている姿に敬服)

それに比べて(比べる方が間違っていますが)職業軍人たる自衛隊員の一糸乱れぬ整列や行進、号令に対する機敏な動作は本当に見ていて気持ちがいいものです。こういった基本動作が大切なのは、社会全般に共通だと思います。先般、とある80代の自衛隊協力者の方と話をしていると、大学生が整列できないので驚いたと申されました。曰く、小学校で「前に倣え」や「番号」など教えられていないのだとか。教えるべきはきっちりと教え、叩き込まねばなりません。

冒頭に藤師団長が式辞を述べられました。世界情勢は核軍縮のような動きがある一方、人種・宗教が火種となった争いは絶えず、テロが頻発するなど不確実な要素に満ちている。日本を取り巻く状況を見ても、北朝鮮の核開発や、中国人民解放軍の近代化といった問題がある。国内に目を向けると、新防衛大綱の策定、東南海・南海地震対策、人道復興支援と、自衛隊は行動して結果を出す時代になったと力強く申されました。あらゆる事態に即時的確に即応する自衛隊たれと発破をかけられました。

4塩じい

来賓は大阪府知事の代理で木村副知事、滋賀県防衛協会の河本会長、第3師団を励ます会の会長である塩川正十郎氏、それに7名の衆参国会議員が祝辞を述べられました。とりわけ塩川正十郎氏は米寿の高齢を感じさせない野太い声で、隊員に対する深い愛情を感じさせる、短くも胸を打つ話をされ、その人格者振りがありありと伝わるお姿でありました。

5ヘリ編隊

マーチを奏でる第3音楽隊が先頭を切った観閲行進では、第36普通科連隊の溌剌とした徒歩行進に続き、多種多様な車両が目の前を通り過ぎ、息つく暇もありませんでした。

6戦車

特に観客の注目を集めたのは、第3飛行隊の6機のヘリコプターによる編隊飛行と、地響きと砂煙を立てて通り過ぎる第3戦車大隊の行進でした。

7ヘリボン

観閲行進に引き続き実施された訓練展示では、ヘリボンによる隊員の降下が展示されましたが、この時のハプニングが印象深かったです。ホバリングするヘリが巻き上げた砂嵐が観客席に襲い掛かったのです。こりゃたまらんということで、皆身を伏せ顔を覆っていましたが、砂嵐をやり過ごすと、臨場感があっていい経験が出来たと苦笑いしていました。

8砂嵐

作戦が佳境に入ると、大砲と戦車が空砲をぶっ放し、響き渡る轟音と、腹に伝わる衝撃波で会場の興奮も最高潮に達しました。これだけの至近距離で戦車が空包射撃するわけですから、その迫力といったら半端じゃありません。近隣に駐車された乗用車の防犯アラームも、異常を察知しけたたましくブザー音を鳴らしておりました。

9大砲

市街地でこれだけのドンパチをやっても、実に苦情はゼロだそうです。千僧駐屯地と近隣の相互理解と良好な関係を非常に嬉しく思います。迫力と圧巻の訓練展示でありました。

10戦車

第3師団の錬度の高さに敬服しました。厳しい訓練を重ね、常に備えている自衛隊に改めて感謝の念を抱きました。

12遊具

国道の北側では、エアー式の遊具が2体置かれ子供で賑わっていました。

11体験

また、レンジャー体験ということで、小学生以下を対象とした綱渡り体験が実施されており、子供が目を輝かせて挑戦していました。

13模擬店

自衛隊員による模擬店も大いに賑わっており、通りは大変な人だかりでした。

私自身は今回初めて第3師団の記念行事に参加させて頂いた訳ですが、まず印象として感じたのは、非常に幅広い層の参加者が訪れ、それぞれに楽しい一日を過ごしているなということです。13,000人の観衆が訪れたということですが、非常に素晴らしいことだと思います。戦車の空包射撃やヘリボンなど見所も多く、自衛隊ファンを増やすのに非常に効果のある記念行事であると感じました。来年はより多くの声掛けを行い、自衛隊の素晴らしい姿を見てもらい、自衛隊ファンになってもらおうと思います。

※ 第3師団のホームページにより沢山の写真があります。
http://www.mod.go.jp/gsdf/mae/3d/page016.html

後日談:観閲部隊指揮官を務められた山之上副師団長に写真をプレゼントさせて頂いたところ、大変喜んで下さいました。

14山之上

はためく国旗日の丸越しに、輝く二つ星(将補=少将の旗印)を掲げた装甲車に乗る山之上副師団長、凛として男前ですね。


ハイチ国際緊急医療援助隊隊員によるブリーフィング 

カテゴリ:中部方面総監部

*今回長文です。読みにくい部分あろうかと思いますが御容赦ください

4月22日私たち大阪防衛協会青年部会は陸上自衛隊中部方面総監部広報室の協力のもと安全保障に関する勉強会を実施いたしました。内容は本年1月に発生したハイチ地震における国際緊急援助隊派遣について新聞等の報道では伝わらない、直接関わった現場の自衛官の皆様のお話を聞かせていただきました。

asakura.jpg

代表してブリーフィングいただいたのは中部方面衛生運用幹部の朝倉健一3等陸佐です。
衛生科の任務は傷病者を収容し治療を行うこと、隊員の健康を良好に維持するための技術援助で各部隊の人的戦闘力を最大限に発揮できるよう各部隊を支援するというあまり目立たない裏方の任務です。

朝倉3佐は今回の緊急医療援助隊派遣時は衛生運用幹部として隊の全般業務を企画されていました。
ブリーフィングは①隊の活動実績 ②医療援助実績 ③渉外(対外調整)④現地写真 ⑤教訓事項と内容を分けてわかりやすくスライドと映像を使って説明いただきました。
今回のハイチでの国際緊急医療活動隊は第13旅団(司令部:海田市駐屯地)を基幹に編成され、1月23日から約3週間、ハイチ共和国(ポルトープランス西約40キロにあるレオガンの看護学校)において、医療援助活動を実施しました。

sinnryou4.jpg


日本の真裏に位置するハイチは中南米の最貧国であり活動が行われた現地は年中、日本の真夏のような気候で湿度も連日60%以上あるような高湿地帯でもあり、隊員はニワトリやヤギが放し飼いの大学の寮に7張りの天幕を張って寝泊りをする生活だったと聞きます。当然隊員の体力の消耗も激しく昼間は休憩を取りながらの活動となることもあったそうです。隊員の方が実際にご労苦に感じられた点として以下の点を述べられていました。

・給水制限
・言葉の壁(現地の方とのコミュニケーション)
・蚊とハエなどの害虫や鶏の鳴き声など
・情報が不足
・帰国日程が直前まで未確定であること

しかしながら派遣隊員全員が帰国後には日本(自衛隊)の代表として任務を完遂し、国際貢献ができたことは光栄であると言っておられたそうです。

ブリーフィング終了後は小グループに分かれて実際にハイチに派遣された衛生補給担当幹部の方や実際に治療に従事された医官、看護官の方も参加いただき、現場での貴重な体験をお話しいただきました。それについての意見交換や質問も活発に行われ、そのあとの懇親会でも会員は食事よりも隊員のお話に興味があり、最後まで活気のある会となりました。与えられた任務を遂行する苦労や現地での体験は関わった本人だけにしかわからず、その貴重な話を一言一句聞き洩らさないよう私たち会員もしっかり耳を傾けていた様子が印象的でした。

kobetu.jpg


■今回の国際緊急医療援助の内容

① 2010年1月12日午後4時53分(日本時間1月13日午前6時53分)ハイチ地震発生。マグニチュード7.0、被災 者370万人、死者22万2500人以上、行方不明者約5万9000人、負傷31万人、避難者数約224万人、倒壊住宅10万5000  戸、(震源地近くでは建物の8~9割が損壊)震源地は首都ポルトーフランス郊外約15キロ(その後も断続的な余  震。20日にはマグニチュード5.9規模の地震)との情報。ハイチ政府より支援要請をうける。

②20日さまざまな事前調査と準備を執り行った後、自衛隊のハイチ国際緊急医療援助隊(JDR)の派遣命令発動。広島 県海田市駐屯地で派遣部隊約100人が編成完結する。(医官14名、薬剤官3名、看護官等24名、うち女性12名)

タイキ


③21日陸上自衛隊のJDR派遣部隊が成田よりチャーター機でマイアミにむけて出国。マイアミからは航空自衛隊のC-130 H輸送機にて現地に入る。

クウジ飛行機


④地震発生から1週間後の1月22日にハイチ入りをする。JICAの後を継いで1月23日から医療支援が始まる。(これは通 常の海外派遣にくらべかなり迅速な準備がされたといわれる)

診療

⑤1月31日にはPKO部隊の先遣チームと合流する。国際平和維持活動が目的のPKO部隊の展開を緊急医療援助隊が支援す る形は今までにはなかったといわれる。

⑥2月12日に防衛大臣から国際緊急援助活動の終結に関する行動命令を受け、13日(現地時間)の活動をもって医療活 動を終結しました。活動終了に伴い、18日に政府専用機で広島空港に帰国する.

帰還式


■質疑応答やグループ別意見交換会の中での内容と私の感想

国際緊急援助活動とは海外の地域特に発展途上にある海外の地域において大規模な災害が発生した場合などに災害を受けた国の政府の要請を受けて日本政府が行う緊急の援助である。(国際緊急援助隊派遣に関する法律 1987年9月)救助活動、医療活動、災害応急対策及び災害復旧の為の活動が主となっている。

今回のハイチでの緊急援助は医療部隊のみで総計2954名の受診者があり、総員45名の治療隊で1日150~200名の患者の内科と外科の診療を行い、医薬品は2000~3000名分を用意されたそうです。
ジャパンホスピタルは海外ではとても信用があり、開業時間前から常に行列ができていたそうです。
医療施設の入り口は国連軍のパキスタン軍が警護されていました。

実際に治療に従事された若き医官の方はハイチの方々の期待が予想よりも大きいために日の丸をつけての治療は大きなプレッシャーであり、しかしながらそれが責任感となり過酷な環境のなかでもひとりでも多くの患者を治療するエネルギーになったとおっしゃっておられました。

kanjajisseki.jpg

医療活動開始の時点では震災から時間がたっていたこともあり、外傷患者も比較的少なくなってきており、内科系や野外生活によるストレスを言われる患者も続出、そのような患者も診察を行ったと聞きました。困っている人がいれば一人でも多く助けたいという自衛官の思いは夜間バイク事故で運ばれてきた外傷者も終結直前まで治療を行ったとおっしゃっていました。

国際緊急援助の内容は応急治療などの医療活動以外にも物資や被災民の輸送活動や浄水装置を用いた給水活動なども含まれます。緊急医療援助隊はこれまでの国内の災害派遣で培った経験と自衛隊ならではの自己完結能力をいかんなく発揮し、最終的に日本赤十字にバトンをつなぐ形で任務の完遂といえる素晴らしい成果を上げました。

支援終了のタイミングがどの支援活動でも大変難しく現地での医療体制の復旧度合いや患者数などを勘案して2月13日に任務終了となった。

今回マイアミからハイチまでは第一輸送航空隊が人員、物資の輸送を行いました。これぞ長年自衛隊が目指していた統合運用の成果であり、今年で4年目の運用の真価がこのたび発揮されたことは自衛隊にとって、また我が国の防衛施策にとって大変意味のあることであると考えられる。

また今回政治主導ですみやかに派遣が決定し部隊が短期間で現地入りし、その任務を完遂したことに大きな意義があると思います。一般的にあまり知られていないが自衛隊では今回の様な派遣要請に備えて航空自衛隊がC-130 海上自衛隊は輸送艦「おおすみ」がいつでもこのような事態に派遣できるよう準備しています。

またそれぞれの方面隊が輪番で要員を準備し、その為の訓練や準備を日頃から行っています。まさに「そなえよつねに」です。また実際に派遣される隊員の準備だけではなく派遣までの周到な対外調整や統合連絡調整、現地連絡員の支援ならびに残留部隊の家族支援・業務の代行などのサポートが派遣隊の任務遂行の成否の決定のほとんどを占めるということはあまり知られていません。正に段取り八分、自衛隊の真骨頂といえよう。

訓練紹介

心ない一部の国民から何のためにハイチまで・・・といった声を報道で聞くことがある。そもそも我が国は何のためにこのような救援活動を行うのか、この部分が一番肝要と考える。派遣される隊員は自衛官として命令に従いその任務を完遂することが使命である。それではその命令は何のために下されるのか。

私見ではあるが一言でいえばそれは「国益」にほかならない。安全保障のグローバル化、インターネットの発達や綿密に絡み合った国際経済の相互依存性など複雑な国家間の関係の中で、ハイチでの災害や他国の紛争が我が国に甚大な影響を与えることが直接ならびに間接的に予想されることもあり国際社会の安定が我が国の平和と安全に密接に結びついているということはイラクの復興支援活動でも言われた通りの周知の事実である。

国際社会の安全の改善の為に我が国が国策として寄与することは我が国の国益を守ることにつながることは言うまでもない。今回の医療援助はアメリカとカナダ軍の医療部隊と役割分担をしながら活動しました。ハイチはアメリカの裏庭と呼ばれ今回は対米協力として日米安保にも寄与したとも考えられる。ひいては自衛隊の能力を国際社会に示すことができ、我が国の信頼を向上させることにもつながったとも考えます。

イラクに行かれた佐藤正久議員の受け売りにはなるが、自衛隊は日頃の厳しい訓練の中で培われた錬度の高い隊員とその隊員の資質はこのような厳しい環境下での規律正しい行動や被災者に対する思いやりあふれた対応としてジャパンイニシアチブとなり、国際社会の信用と信頼をかちえるものとなっている。

今回の勉強会のお話や参加いただいた医官の方を代表とする現場の方々の話を聞き、私は自衛隊の持つ貢献能力は世界最強であり、それが他国からの抑止となり、我が国の国益に大きく貢献しているものと確信する。そして最も忘れてはいけないのが国民の激励が彼らの活動のエネルギーになるということで、私たちは他国の地で今も汗を流す自衛官とその裏方の方々に心より敬意をはらい、多くの国民に彼らの活動を正しく伝えることが、私たちが日本国を大きな意味で守ってくれている自衛隊に出来る御恩返しであると考える。

sonota.jpg

(ブリーフング参加者氏名)
・中部方面衛生隊衛生運用幹部    朝倉健一 3等陸佐 
・中部方面衛生隊本部付隊長     梶原功勢 3等陸佐
・中部方面衛生隊野外病院隊医官   千田将光 2等陸尉
・阪神病院 看護官            高橋和代 1等陸尉
・中部方面総監部防衛部運用班長    野村昌二 2等陸佐
・中部方面総監部装備部輸送班長   高橋茂洋 2等陸佐
・中部方面総監部航空連絡官      名取 恭 2等空佐

*陸上自衛隊中部方面総監部のHPより写真を一部借用しています。

文責:大阪防衛協会青年部会
   会長 鷺岡和徳







信太山駐屯地創立53周年記念行事 

カテゴリ:陸上自衛隊

4月29日信太山駐屯地に於いて記念行事がとりおこなわれた。
朝方まで春雷ともいえる雨風が吹きまくっていたのだが開門のころには快晴となる。この日を楽しみにしている来場者と駐屯地の隊員1000余名の思いが天に通じたのであろう。

1mannin.jpg


信太山駐屯地は、日清・日露戦争において勇名を馳せた旧陸軍野砲兵第四聯隊が、大正8年11月に大阪法円坂より移駐し終戦まで駐屯し、終戦後の昭和20年から昭和32年までは米軍が駐留し、海兵隊の下士官養成学校として使われていましたが、昭和32年9月、陸上自衛隊信太山駐屯地として開設されました。

駐屯地の面積は約20万平方メートルで甲子園球場の約5倍の広さがあり、第17代履中天皇の皇子である市辺押歯皇子の墓といわれる鍋塚を中心に、各隊舎、厚生センター、体育館が整然と配置される緑が多い駐屯地でもあります。

また旧軍時代からの建物も数多く残っており、特に旧将校集会場は野砲兵第四聯隊が大阪法円坂より移駐時に、明治天皇の娘婿であられる当時の第一大隊長、北白川宮成久王殿下の執務室として建設され、その後終戦まで将校集会場として使用された建物で、歴史的価値も高く、現在では修史館(資料館)兼幹部集会場として使用されています。
(以上HP参照)

音楽隊の演奏から始まった記念式典にはグラウンドを埋め尽くすくらいの人が自衛隊員の雄姿を一目見ようと集まった。

rappataidoriru.jpg

37普通科連隊連隊長兼ねて信太山駐屯地司令の大庭秀昭1等陸佐の観閲官式辞では自衛隊の与えられた任務は近年ますます多様化して本来任務である国防だけではなくのみならず国際貢献活動や災害派遣など多岐にわたり国民の自衛隊に対する期待も高まっている、その期待にこたえるために自分たち自衛隊は日々訓練を重ね、錬度を高め与えられた任務を完遂しなければならない。そして地元地域の方々に自衛隊を理解いただき地域と一体となって任務を遂行できるよう隊員一同ととも今後も精進していくといった内容の挨拶をされた。

sikiten.jpg

後ろで聞いていても内容もさながら思いの入った素晴らしい式辞であった。


観閲行進ではそれぞれの中隊が自分たちの精強な部隊を外部の方々に見ていただく機会であり
選ばれた行進担当の隊員からは強いエネルギーが放出され彼ら一人一人が我が国の抑止力であることを
再認識させていただく場となった。

kousin_20100501091132.jpg


訓練展示では八尾駐屯地の中部方面航空隊からもヘリがきて実際の模擬戦闘をかなりこだわって
観客も実戦さながらの訓練展示に息をのむくらいの内容であった。

heri_20100501091158.jpg

今回の展示は市民に自衛隊がいざとなったらどのように国民を守ってくれるのか、どのように敵を制圧するのかをディーテイルまでしっかりとみせていただきこれぞ任務の完遂であると敬服する次第である。

kunrentennji.jpg

ヒゲの隊長こと佐藤先生の挨拶でもあったように、自衛隊の任務は多種多様に及ぶ反面、防衛費は縮小ばかりが叫ばれています。このままだと私たちの生命と財産を守ってくれる自衛隊が充分な訓練もさながらいざという時に任務遂行もままならなくなる状況におちいってしまいかねないと数ある来賓の中で唯一内容のある挨拶をされていました。

会場では大きな戦車を模した子供の遊び場や中隊ごとに工夫を凝らした焼きトウモロコシや泉州名物の油かすの入ったうどんの販売など市民が楽しめるようなしつらえ満載で家族連れが終日この駐屯地で楽しめる工夫がされていた。
kodomoasobiba.jpg

装備品の展示会場では多くの市民と隊員との交流があちらこちらであり市民もこの日を待ちわびていたかのように小銃や対戦車砲などを実際に手に持って記念写真を取っている姿があった。

kouryuu.jpg

毎年1万人を超える来場者があるということは大変価値あることで大阪のより多くの方々に自衛隊をさらに理解し応援していただきたいものと心から願う。

eihei.jpg

衛兵の隊員もこの日は誇らしげに見えた。






上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。