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大阪護国神社 

カテゴリ:雑感

終戦記念日の本日、大阪護国神社に一人で参拝にいく。
もちろん目的は国のために命を捧げた英霊に「感謝と哀悼の意」を表すためである。
この大阪護国神社には大阪出身の大阪府ゆかりの英霊十万五千余柱を御祭神としてお祀りされている。

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大阪護国神社は昭和15年仁徳天皇と大阪府出身の戦没者を祭神として創建し有志が桜樹献木会を組織して桜・桐約千本を植えるなど約2万平方メートルの神域はうっそうと樹木が茂りこの日も閑静なたたずまいを見せている。
春・秋の大祭のほか、毎年の盆三日間はみたま祭りとして域内に3千個のちょうちんを灯し、祭神の霊を慰めている。

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神社の境内には大小二十五基もの慰霊碑が建ち並んでいる。これらの慰霊碑は同じ所属部隊で戦死した戦友の死を悼んで建立したという体裁をとっているが、碑の裏面に掲げられた文面はすべて「輝かしい部隊の戦歴」をしっかりと披瀝されている。実にすばらしいことである。戦争で亡くなられた英霊は、家族のため郷土の為、国の為、残された私たし子々孫々の為に尊い命をなげうって戦われました。慰霊だけではなくその功績をたたえ感謝し心からの畏敬の念を持たねばならないことは言うまでもない。


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この碑を見ると祖国日本を守るために青春のなかった若い先達が父母兄弟、国の為に若き身を犠牲にして人間爆弾になって敵艦に飛び込み散華したこと、そのときの彼らの想いはいかばかりなのかと考えてしまう。
5月にお亡くなりになった前大阪防衛協会会長の小林公平氏も海軍兵学校出身で特攻隊を志願した先輩に囲まれて終戦を迎えたと言っておられた。朝鮮半島の鉄道や道路のインフラや教育機関など自国と同じくらいの費用を使い経済発展に寄与してきたのにいつまで我が国は韓国、中国に対して謝り続けなければならないのか・・・ということを阪急電鉄の本社で話しいただいたことを思いだす。

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海軍関係戦歿者の慰霊碑で碑文を以下紹介する。

明治初年に創設され、その後幾多の輝かしい歴史と伝統を保有し、わが国の栄光と国威の象徴として、国民に尊敬され親しまれた日本帝国海軍は、さきの太平洋戦争において善戦空しく敗れ、昭和20年8月15日の終戦と共に、その80年の長い歴史を閉じた。この戦において、40万余の海軍軍人・軍属が、その貴い生命を祖国に捧げて勇戦奮闘の末、国の御楯として散華した。

大阪を中心とする近隣府県在住の海軍関係生存者ら有志相寄り相図り、ここ大阪護国神社の聖域に慰霊の碑を建立した。海軍を弔い、永遠の平和を希求し、戦没者に心から慰霊の誠を捧げ、以てその芳勲を千秋に伝えんとするものである。

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予科練の貴様と俺と翼の碑です。


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つわもの之碑「野砲兵第26連隊」以下連隊紹介

大阪・九州の出身者で編成。昭和6年、満洲事変に際し連隊主力は第39混成旅団砲兵として参加。
支那事変では、京津地方掃蕩作戦、太原攻略戦等に参加。昭和15年1月に復員。昭和17年末、南東派遣のため山砲に改編。ニューギニアのウエワクに上陸。昭和18年4月、マダンに移動。昭和18年9月、米軍のフィンシハーフェン上陸に際し、火砲を移動。10月から11月にかけて二次にわたって攻撃支援を実施。
その後、シオに後退。更に第41師団とともにアイタペで坂東川血流の大激戦を展開したあとブーツへ後退。
終戦時の生存者は約100名。


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龍山歩兵第七十九聯隊「戦友ともはここに眠る」

大阪・九州の出身者で編成。
昭和6年、満洲事変に際し連隊主力は第39混成旅団砲兵として参加。支那事変では、京津地方掃蕩作戦、太原攻略戦等に参加。
昭和15年1月に復員。
昭和17年末、南東派遣のため山砲に改編。ニューギニアのウエワクに上陸。
昭和18年4月、マダンに移動。
昭和18年9月、米軍のフィンシハーフェン上陸に際し、火砲を移動。10月から11月にかけて二次にわたって攻撃支援を実施。その後、シオに後退。更に第41師団とともにアイタペで坂東川血流の大激戦を展開したあとブーツへ後退。終戦時の生存者は約100名。


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『鎮魂』の碑、歩兵第二百十六聯隊

主力部隊を篠山で、第3大隊を大阪で編成し合流して連隊を編成する。
編成直後、漢口に派遣され、更に南昌に移駐して警備に当たり、中国軍の冬季攻勢を撃退する。
昭和15年、宜昌作戦に参加。その後、錦江作戦の中心部隊として活躍。その後、江北作戦、江南作戦に参加。
湘桂作戦では長沙の岳麓山攻略に従事する。その後、中国大陸を転戦し終戦を迎える。

碑文

我が聯隊は昭和14年3月編成され翌4月軍旗を奉戴して勇躍中支戦線に参加して漢口に上陸
以来終戦により安慶に於いて軍旗と永訣する迄七星霜
支那派遣軍の精鋭第34師團(椿部隊)の中核として宜昌作戦をはじめ十二、十三號作戦、二次に亘る錦江作戦、豫南作戦、汚陽作戦、浙■作戦、江北及び江南殲滅作戦、常徳作戦、湘桂作戦、■江作戦等相次ぐ大作戦に参加
■次軍司令官感状賞詞を受け赫々の戦果を擧げた
この間飢餓酷暑寒苦に耐え瘴癘と闘い勇戦奮闘祖國に殉ぜられた英霊2362柱
その武勲は燦として千載に輝く我等復員以来家郷に在って一向祖國復興発展に力を盡くして来たが嘗て死生心契の諸霊の忠烈敢闘の姿脳裡を去来しその遺志に励まされ加護により今日夢想しなかった繁栄を成し國民均しく平和を慶ぶ。茲に積年の宿願漸く實って戦史を編纂鴻烈を偲び鎮魂の碑を建立、遺勲を顕彰冥福を祈り併せて祖國永遠の平和を冀う

昭和52年9月
歩兵第二百十六聯隊戦友會



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歩兵第百八聨隊
つわもの之霊 ここに鎮まる

通称 菊水部隊 鳳八九六四部隊

歩兵第8連隊留守隊を基幹に予備役を中心に編成。
編成後ただちに満洲に派遣され、錦県に駐屯。
昭和13年7月12日の張鼓峰事件(ソ満国境)では、延吉に展開して警戒に当る。
その後、第21軍に所属して華南を転戦。
昭和13年10月22日、バイアス湾に敵前上陸を敢行して広東作戦に参加。
翌年1月から広東地方の警備のため三水地区に駐屯。
昭和14年11月、翁英作戦では、西村支隊として鉄道修理の工兵隊を援護するが、中国軍の冬季攻勢による猛攻を受ける。(この作戦での戦死者156名)
太平洋戦争期間中は第23軍の指揮下で広東の警備を担当。
昭和19年、大陸打通作戦に参加し多くの被害を出す。
昭和20年3月から米軍の上陸に備えて広東で洞窟陣地を構築中に終戦を迎える。

この日は夕方に参拝することで静かに英霊の至情と対峙することが出来た。と同時に国のあり方を考え、英霊に恥じない国を自らが作り上げるというさらなる気概を携えて地をあとにした。




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中澤剛1等陸佐案件について 

カテゴリ:雑感

表題の案件について大阪防衛協会青年部会としてメディアに対して意見や抗議をしてはという声が内外から上がっておりその都度、青年部会長としてこの案件の表面的な部分ではなくこの国の安全保障問題の内包した問題を含めて本質を考えていました。また本日報道で中澤1佐が予定外の陸自研究本部主任研究開発官とする人事異動が決定された。同格のポストの為に更迭や降格ではないといっているが指揮官職からはずされたということは明白であり陸上自衛隊第44普通科連隊に属する1100人の隊員たちをはじめ、すべての自衛官の忸怩たる思いや士気の低下を思うと一国民として本当に情けなく心を痛める次第である。

ご存知の通り中澤1佐は宮城県で2月に行われた日米合同訓練で「日米同盟は外交や政治的な美辞麗句で維持されるものではなく、ましてや「信頼してくれ」などという言葉だけで維持されるものではない」と訓示をされ、この信頼してくれの部分が総理大臣を揶揄する文言であるといわれ注意処分を受けたものである。

マスコミ報道も挨拶の一部分だけを切り取ってあたかも中澤1佐が問題発言をしたような書きかたをしているが、話の前後やその時の状況を関係者から聞くと日米協同訓練の場で自衛隊、米軍の幹部兵士が信頼関係を訓練の中で築き上げ「これからも心を一つにして一緒に頑張っていこうな!」という趣旨の挨拶で米軍幹部を中心に「素晴らしいスピーチであった」と歓喜の声が上がるほどと聞き及んでいる。。まさに言葉ではなく現場の兵士の信頼関係で日米関係は維持できているということにどこに異を唱える箇所があるのか私には理解できない。

昨日、佐藤正久参議院議員と会食する機会があったが予算委員会の中で彼は鳩山総理に対して「総理は日米同盟が信頼してくれという言葉で成り立っていると思いますか?」という質問をされた。総理は「そうは思いません」と答えたといいます。中沢1佐の発言にどこに問題があるのか・・・。佐藤議員ありがとう! (彼は福島瑞穂大臣に自衛隊は「合憲」ですと今回の国会答弁で言わせました。涙が出るほどうれしかった。。。)

自衛官出身の佐藤議員は任務とはいえ自らの生命をかけて日本国民の生命と財産を守るために絶えづ厳しい訓練を続ける隊員が主役であり、言葉だけでは国を守れないことを普通科連隊の連隊長も経験され実感されている。。自衛隊員は本当に国の為に一生懸命頑張っている。

私自身も実際にさまざまな現場で見てきている。どうして中澤1佐の真意を忖度できないのか。。。

国会の安全保障委員会で北澤防衛相が「首相の言葉への揶揄した」として中沢1佐を処分し、「クーデターにつながる」とも述べ「自衛隊を賛美して甘えの構造をつくることが最も危険だ。自衛隊が頑張っているからすべてがいいとなれば政治の存在がなくなる。昭和の陸海軍の歴史でも明らかだ」と述べていたことにはあいた口がふさがらない。。

憲法論のひずみも含めて防衛大臣という指揮官が自分たちの部下を信頼せずに、今回のように懲罰や人事で対処することが続くのであれば我が国の安全保障は日米同盟とともに音を立てて崩れていくような気がしてならない。(小沢一郎は日中不可侵条約でも結ぶのか・・?)更迭すべきは最高指揮官の鳩山総理であろう。

現政権の戦略なき安全保障政策が我が国の抑止力を低下させていることは自明である。自衛隊装備品凋落ぶりを書いた防衛破綻―「ガラパゴス化」する自衛隊装備 というものが最近出ているが自衛隊の内部や組織自身がガラパゴス化しているという危機を個人的に覚える。

大阪防衛協会青年部会は自衛隊の支援と協力を会の目的の一つにしているが、我々は自衛隊の御用団体ではなく活動やオピニオンはあくまで国民目線でかつ自衛官ひとりひとりが自分の職業に誇りが持てるよう、また彼らが生まれ変わっても自衛隊の一線で活躍したいと思えるように、そして自衛官がわが国で最も貴い職業としてすべての国民から尊敬される存在になるため・・・・今後も間違っていることは間違っているとはっきりとものを申していこうと思う。

天皇皇后両陛下大阪行幸啓 

カテゴリ:雑感

今回のブログは担当副会長 辻輝也が担当させていただきます。

天皇陛下御即位二十年奉祝大阪実行委員会とご縁を頂き、社団法人日本青年会議所近畿地区大阪ブロック協議会のメンバー20余名が天皇皇后両陛下大阪行幸啓の奉迎活動に参画させて頂いた。

大阪府庁前のお迎えでは車道を挟んだ向かい側の歩道は早い時間から多くの国民が参集し、天皇皇后両陛下との御目見得に心弾ませる熱気で寒気を撥ね除けるようであった。降り続く雨が空気を洗い清め、場をより厳粛なものとした。白バイに先導され菊の御紋を冠した御料車が視界に入ると、沿道を埋め尽くした人々による「万歳!」の声が連呼された。雨が降っているのも忘れて、国旗を振りながらの力強い万歳であった。天皇皇后両陛下は車を降りられると、道路越しの我々の方に数歩踏み出され、温かいまなざしで手を振って下さった。

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その神々しさと慈しみに感動を覚えない者はおらず、まぶたに感涙を蓄えながら万歳の声を絞り出した。お顔がはっきり見える至近距離で天皇皇后両陛下の我々国民への慈愛を感じさせて頂き、今回の奉迎活動にご縁を頂いたことに感謝した。沿道を去り行く人々の表情は晴れやかで、人が去った歩道にはゴミひとつ落ちていなかった。美しく気高い日本人の姿がそこにあった。

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(この写真の左上の黄色い服を着たおやじが私です。陛下に手を振っていただいて一生忘れん日になりました)

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※画像は全て「朝ズバッ!」の映像を引用させて頂きました

文責 副会長 辻 輝也

日の丸弁当 

カテゴリ:雑感

最近このブログが過激になってきたという指摘を受け少し閑話を。
私は自衛隊行事で初対面の方とお話をする中で「お仕事は何を・・」としょっちゅう聞かれます。
平日の昼間にのんびりと会合やパーティー等にでてきてお気楽に見えるらしい。そう聞かれた時にすかさず「本業は防衛協会です」と答えるようにしている。

本業があれば副業もあるのかと聞かれるわけだが「副業は大阪で飲食店を経営しています。」と言っています。これは実はホントの話で吹けば飛ぶような小さな会社でお弁当の製造販売やレストラン業をしています。

そこで最近の新作の弁当を紹介すると「料亭の作った日の丸弁当」1000円というのがあります。

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今までありそうでなかったものなんだけど。梅干しを含めて食材はすべて国産のものばかり。
野菜の焚いたんやお豆を煮たものとかほんまもんの日本の弁当をイメージして作ってます。

この商品をリリースするとき従業員からはあんまり売れへんのちゃいますかと言われたが、「大和魂をもって営業に励むべし!」という私の命令のもと営業社員が必死で売り込みをかけ、最近ではいろいろな企業や団体からの人気もでてきて、リピーターも続出のようである。

このお弁当で少しは防衛意識の高揚を国民層に広げることができたか・・と思う今日このごろである。

知情意 

カテゴリ:雑感

ずっと前に自衛隊の幹部の方から知情意という話を聞いた。我が大阪防衛協会初代会長の松下幸之助翁の著書でも過去に見たことがある。

陸上自衛隊では幹部が昇進するために知(智)・情・意それぞれの観点から公正に評価され部隊のリーダ・組織のリーダーにふさわしい人物をトップに据えるらしい。時には部下からの評価制度もあり「バカな上官は敵より怖い」いうたとえもあるように自らが生命を賭して国民の安全と平和を守る自衛官の指揮者たる者はより慎重に我見我執にとらわれない、また的確な認識感と正確な判断力を備えた人物でなければならないことは言うまでもない。

人は感情の動物なのでやもすれば「情意知」という優先順位になりがちだが知情意がどれも突出せずバランスよく連動できる人物というのは私の周りでもあまり見かけない。

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陸上自衛隊中部方面航空隊隊長兼ねて八尾駐屯地司令の田中重伸(一佐)氏はこの知情意をバランスよく兼ね備えられた方とお見受けしている。ソフトな物腰と明晰な判断力は少し話をしていてもこちらの質問の意図を瞬時に察しわかりやすく答えてくれる。

部下の幹部からも信頼厚く先日の信太山駐屯地記念行事の懇親会でもいろんな支援者からサインを求められていました。偉そうには絶対にされないが駐屯地司令という責任と自国を守るという強い信念が軍人のオーラを発しているように見える。

ところで北朝鮮が短距離ミサイル発射の準備を始めていると報道で聞き及ぶ。かの国が核弾頭を搭載する可能性があると言うならば我が国は自衛権を先制的に行使する必要性の議論が国民間であってしかるべしと思うのは私だけであろうか。


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